すべての人との平和を

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。―ローマ12:17〜18

私は8月になると気が重くなる。それは69年前の太平洋戦争の事を思い浮かべるからである。日本はアメリカをはじめ世界の国々と戦争をしたが逆に沖縄をはじめ、東京、各大都市がことごとく空襲により廃墟と化してしまった。熊谷や伊勢崎も終戦間際に激しい空爆を受け多くの命が奪われた。私たちの本庄でも空爆を受けたと聞いている。その時の悲しみ、絶望、喪失感ははかり知れない。我日本は、どうしてここまで悲惨な道を辿らなければならなかったのだろうか。

また何故、アメリカは日本に対してここまで激しい空爆で襲いかかったのか。8月13日の「NHKスペシャル、狂気の戦場ペリリュウー・忘れられた島の記録」を見てこの戦いに原点があるような気がした。南の小島ペリリュウー(パラオ)を巡って守備する日本軍に対しアメリカ軍の凄まじい攻撃(1944年9月〜)が繰り広げられた。この戦争の映像や証言は私が知り得る中で最も悲惨なものである。接近戦に持ち込む日本の策にはまり、アメリカは長期間戦う事になる。勝利したものの多数の死傷者、精神疾患者を出し、日本へ憎しみの連鎖が増す。翌2月硫黄島で激しい戦いの結果日本軍は壊滅、更に沖縄戦、日本全土の空爆へとつながる。ついに1945年8月15日に日本は無条件降伏をして敗戦の日を迎える。戦争とは、憎悪の連鎖が途切れることがない。やられたら2倍、3倍に仕返しをする。日米問わず人の罪の性質そのものである。

一方聖書を見ると、使徒パウロはローマ人への手紙の中で戦争とは真逆の事を述べている。悪に悪を報いることをせず、自分に関して、すべての人と平和を保ちなさい(平和に暮らしなさい)と勧めている。私も一市民として平和を大切にし、日常生活の中でキリストの心を心として生きるものでありたい。これこそキリスト者の生き方である。人から軽んじられ、馬鹿にされても、そうありたいと願っている。今月もみことばを学び、味わいながら歩んでいこう。(牧師)